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Saturday, November 22, 2014

11月11日、集団的自衛権行使容認と、辺野古・高江の基地建設に抗議して日比谷公園で焼身自殺した「新田進」さんを記憶する

11月25日追記分は文末に。当初は名前を隠してある「抗議文」の画像を掲載しましたが完全なものを入手したので26日に差し替えました。★この投稿を転載する場合は必ずPeace Philosophy Centre の記事であることを明記、リンクしてください。

11月11日、日比谷公園で男性が焼身自殺した。安倍内閣による集団的自衛権行使容認「7.1」閣議決定と、これらと結びついた沖縄県辺野古と高江の基地建設に抗議してという理由だった。

6月29日、新宿で、安倍政権による集団的自衛権行使容認に抗議して焼身自殺未遂した人のことはまだ記憶に新しい。このときは安倍政権の7月1日の閣議決定直前で、集団自衛権行使容認についての集中的に議論されていた時期だったせいか、海外メディアがすばやく反応、日本メディアも反応は鈍かったが、全く報道しなかったNHKをのぞいて各社報道はした。

参考:ジェフ・キングストンのジャパン・タイムズ記事和訳
「安倍首相による日本の戦後平和憲法の転覆に焼身自殺行為で抗議」
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2014/07/japanese-translation-of-jeff-kingstons.html

今回、マスコミでの扱いは6月に比べたらさらに小さく、私がネットで確認したかぎりでは朝日、読売、共同、時事、英字紙ジャパンタイムズ、NHK、スポーツ報知、ANNなどが報道していたが、大きな扱いとは言えなかった。6月はすばやく大規模に展開した海外メディアも控え目だった。6月のときと比べてもさらに、すぐに握りつぶされたような雰囲気があった。よくニュースを見ている日本の友人でも知らない人もいた。

だから私は一発信者として、この事件を記録・記憶していきたいと思っている。

メディア報道はどこも、「11日午後6時55分ごろ日比谷公園で、火が出ているとの通報があり警察と消防がかけつけ、火に包まれている男性を発見、男性は病院に搬送したが間もなく死亡した。警察庁丸の内署によると現場には、集団的自衛権行使容認や、沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対する内容が記された抗議文があった。自らの撮影をしている録画状態のビデオカメラもあった」という同じような内容だった。

ANNの報道によると、現場のベンチに抗議文がはりつけてあったようだ。


この内容が画面からはっきり見えないのでもどかしく思っていたところ、
 
ツイッターで@commandercody7さんが共有した東京新聞11月15日朝刊の記事にはこうあったという。


ここには当初の報道にはなかった情報があった。焼身自殺したのは「新田進」というペンネームで活動する男性だということ。また、東京新聞に13日に抗議文が届いていたということだ。きっと各社に送ったがほとんど無視されたのではないか。

その後、「週刊金曜日」11月21日号(6ページ)でもこの事件が報道されていることを知った。

この抗議文の画像イメージを入手したのでここに共有する。「新田進」という記名がある。【26日画像を完全なものに差し替えました】



 
政府への抗議手段としての焼身自殺の是非については論議があるだろう。命を粗末にするな、と批判する人もいる。しかし、この人は自分の責任で自分の死をもって、安倍内閣による憲法破壊行為と、沖縄へのさらなる基地建設の暴力に抗議したのである。やりたいことを行ったのだ。私はこれを、善悪の価値判断したり蓋をしたりするのではなく、それ以上のものでもなくそれ以下のものでもなく、「そのもの」として記憶したいと思っている。
 
日本における政治的焼身自殺は、1967年、弁理士でエスペランティストの由比忠之進氏が官邸前で、佐藤政権のベトナム戦争支持に抗議して行ったのが私が知る限りは最後である。
私は昨年までこの事件を知らず、これを知らせてくれたのが、由比忠之進についての本を書いた沖縄のジャーナリスト、比嘉康文氏に『我が身は炎となりて-佐藤首相に焼身抗議した由比忠之進とその時代』(新星出版、2011年)をプレゼントされたときであった。比嘉氏はこの本で「自らの生命を表現手段として使うことに疑問を感じないわけではないが、わが身を挺して、この国の最高責任者の佐藤栄作首相に抗議する事件が起こった日である。しかも、私が生まれた沖縄のためでもあった」と綴り、73歳だった由比氏が「政治資金規正法、ベトナム戦争、沖縄問題に対する佐藤首相の政治姿勢に怒った、まさに”死の抗議”だった。焼身自殺は、ベトナムの僧侶などが行っていた抗議手段だったが、この日本で発生したことに多くの国民がショックを受けた」(プロローグより)と記している。

6月29日の新宿の焼身自殺未遂事件のとき、日本のメディアは、三島由紀夫の1970年の自殺というコンテクスト的に比較しようのない事件を持ち出すところはあったが、この由比氏の67年の事件に触れるところはなかったことを非常に不自然だと思っていた。

そして、今回も、「新田進」さんの焼身自殺を報じたメディアは、6月30日の新宿事件にやはり全くふれず、唯一触れていたのを見たのは海外のAP通信であった。あたかも一つ一つの事件に歴史的関連性や意義をつけてはいけないかの暗黙の了解があるようにも感じる。
 
だから私はこの一連の事件の歴史的意義を自分なりに定義してみたい。
 
1967年以来、47年間もなかった政府への抗議行動としての焼身自殺行為が、この第二次安倍政権下だけで2度も起きたということである。
 
これは、この政権がいかに、憲法と民意に背いて、九条の最後の砦であった集団的自衛権行使禁止のタガをはらい海外で戦争ができるようにする国になるために暴走してきたか、そして沖縄の人権を蹂躙し民意を踏みにじって新基地建設を強行しようとしてきているかを象徴している出来事である。
 
そしてもう一つ重要なことがわかった。この新田進氏はどうしてこの日を選んだのかがずっと気になっていた。6月の事件のときは「7.1閣議決定」の直前だからタイミング的には理解できたのだが、今回はわからなかった。沖縄知事選を意識しているのかという想像はしたが。
 
そうしたら、上に書いた由比忠之進氏が焼身自殺した日が、同じく11月11日だということがわかった。
 
新田氏は、由比氏の焼身自殺を意識して、敢えて同じ日を選んだのかもしれない。
 
この事件は、沖縄では報じられたであろうか。私の知る限りではない(間違っていたら指摘してください)。「命どぅ宝」(命こそ宝)という価値観を大事にしている沖縄の市民たちにとっては非難すべき行為なのかもしれない。しかしこれが東京ではなく沖縄で、たとえば沖縄防衛局前でこのような事件が起こっていたら、どこまでの騒ぎとなっていただろうか、と想像する。
 
いずれにせよ、隠さずに長く「記憶」していく歴史的必要性を感じたことから、用意できた資料は全部ここに並べ、記してみた。
 
@PeacePhilosophy
 
【11月25日追記】

今回亡くなった「新田進」氏が、「活動家集団思想運動」というグループに属し執筆活動をしている同じ名前の人であることが確認できた。

新田氏は、このグループの会報「思想集団」6月15日号の巻頭に、集団的自衛権行使を容認する閣議決定を「断固許さない」と記事を載せている。http://www.shiso-undo.jp/paper/938-01.pdf

また、11月26日発売の「社会評論」に「七・一閣議決定は違憲・無効である 壊憲反対運動の再構築を」という題で「労働運動活動家」との肩書で寄稿している。

小川町シネクラブ」という、運動に関連する映像制作は上映会・学習会をするグループの指導的存在でもあったようだ。


 

6 comments:

  1. Shigeki Sawai4:46 pm

    「焼身自殺」の是非はともかく、私も記録し記憶していくべきことと思います。が、「1967年以来、47年間もなかった」わけではなく、1975年6月25日に釜船本州治氏が皇太子訪沖に抗議して「焼身自殺」しています。

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  2. 山本英夫2:18 am

    貴重なまとめをお送り戴きありがとうございます。
    実は昨日、辺野古テントでこの話が出ました。そういえば続報が出ないが、どうなってるのかねと。誰も情報をもちあわせず、私が「新田進」と言う人らしいよと、言い、しかし、もしそうならば、組織としての追悼文なり、総括文がでるはずなのに出ていないと、話しました。
    この間、沖縄では県知事選とボーリング調査・工事の再開に追われており、私はこの問題を正面から考えられずにきました。
    また私は、このニュースをウエブで見たと記憶しています。氏名不詳でしたし、「集団的自衛権に反対」とだけありました。

    それにしても指導的な活動家が何故焼身自殺に踏みきったのか、謎です。
    命を投げ出しても、安倍は答えるはずはないし、過半の日本国民も命にまっすぐに向き合うことができず、鈍い。
    このような政治的な自死に、私は「命を大切にしない」などと非難できないと思います。運動の力量が余りにも現実に追いついていないからです。
    もし彼が沖縄の運動にもっと関わっていたら、違う方法をとったに違いないと思います。

    「命どぅ宝」だからと思うからこそ、自死を決断せざるを得なかった彼を追悼したいと思います。また彼の怒りを想像したいと思います。

    山本英夫

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  3. Anonymous6:32 am

    記録のために、また、政治的・社会的に重要なこの事件を無視するメディアにチャレンジし、多くの人に知ら せるために、タイムリーなブログを書いていただいて感謝しています。由比忠之進の焼身自殺との関わりの指摘、とても説得力があります。そして、第二次安倍政権下で二人目だという指摘も、目からウロコです。(この消費ボケ・"エンタメ”ボケした今の日本で、あのような政治的自死を選ぶ人がいるということ自体が大きな ニュースでなくて何でしょうか?)

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  4. 75年の皇太子訪沖時の焼身自殺は知りませんでした。火炎瓶を投げられたことはよく知られていますが、このときの自殺は、皇太子暗殺計画を断念しての上ということだったようですね。この焼身自殺が政治的なものであることは間違いないと思いますが政府の政策に抗議してという位置づけから考えると、やはり今年の2件の事件は67年の由比忠之進氏の焼身自殺と並べて位置づけられるものではないかと思います。

    教えていただきありがとうございました。

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  5. Anonymous4:24 am

     新田氏が所属していた思想家集団は東京大学本郷の近くで、「変革をめざす共学の広場:本郷文化フォーラムHOWS」を主催し、大西巨人、武井昭夫、湯地朝雄、花田清輝の流れを引き継いでいる日本の左翼運動の歴史の中では格式高い人たちの組織だったと私は思います。

     1970年代に長野県の学生運動で中心的な役割を果たしていた信州大学全共闘の猪瀬直樹がつるしあげた(戦後の名古屋大学物理学教室を坂田昌一の薫陶を受けた)有名な良心左翼物理学者K教授(現在70歳代後半)も本郷文化フォーラムHOWS に参加していました。

     これは私の想像ですが、戦後この国で日本共産党から外に出た文化人(中野重治、武井明夫、湯地朝雄、花田清輝、大西巨人ら)など(60年代には「日本の声」派と呼ばれ、1970年代には民学同(民主主義学生同盟)として特に関西では日本共産党の主流派とは別の運動を担っていました。 

     この国で左翼が壊滅した今では、(1970年代に高校生だった佐藤優にマルクスの資本論購読を勧めたりした)日本社会党の社会主義協会派だった経済学者鎌倉孝夫を講師にむかえたり、いわゆる1960年代から1970年代の左翼運動の香りを含みながら、しかし日本共産党とは縁の遠いこの国の古き良き時代の左翼知識人たちによる勉強集団(むかし風に言えば学習会)として、労働者階級のたたかう知性をつくる雑誌「社会評論」を出版していました。

     社会評論には戦後の徳田球一の革命論や60年安保のブント急進派の遺産を意識的に批判した論文や、文学、政治、芸術、社会科学から環境問題まで含む広い分野の論文が投稿されていました。

     おそらく新田氏もそのような思想をもち、60年代の知識人の香りと名残の漂よう物静かな老人だと私は想像します。

     従って、いま思想集団の人々は大変な衝撃を受けていると私は思います(これは辺野古テント村で闘っていらっしゃる山本英夫さんの投稿文にたいする私の感想です)。また関西の左翼運動「日本の声」派や「民学同」という党派に関してはかつて私が学生時代に民学同の友人から聞いたことを思い出して書いています。

    丸山南里

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  6. 写真家山本英夫氏のブログより太平思慮深い考察。

    新田進さんの焼身自決について考えていること

    http://photoyamahide.cocolog-nifty.com/yamahideblog/2015/01/post-d0e2.html

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